いやっほう!

阪 ネ申 イ憂 月券 だ! フォ〜〜(レイザーラモン住谷風)
2年前の優勝時のように発泡酒かけをやりたい!!だが・・・、もったいないしひとりではつまらないし、第一寒いので心臓に負担がかったらいけないということで、発泡酒かけはやめて家で贅沢にビールを飲みました。飲むのが一番臓器に負担がかかるのでは・・・というツッコミはなしでお願いします。

同窓会

高校のときの同窓会を、5年ごとに開催している。今年はその開催年ということで、本日開催!
最初は開催できるのか?というぐらいのレスポンスの遅さ。出欠席を伺うハガキすら集まらない体たらくで、「そろそろ開催できなくなってしまうのかなぁ」と思っていた。しかし、締め切りぎりぎりになって「出席」の返事が続々と到着。なんとか開催できることになった。
名古屋のとある飲食店で顔を合わせた仲間たちは、太ったり痩せたり髪が薄くなったり(笑)しているものの、やはりあのときの面影を残している。近況をざっと語れば、あっという間に時の流れを忘れて、後は誰彼と無く話に花が咲く。年齢的にも子育て真っ盛りの人が多く、その話題が多かったのがちょっと面白かった。
また5年後に、開催できるといいな。その頃にはどんな話題に花が咲くのだろう。

伊勢海老一丁あがり!

参加している文学誌「伊勢海老」に連載中の「乖離」第2章がやっと完成した。
本当は6月末期限のものだったのだが、入院などあったため間にあいそうになく、今号も参加できないかな・・・と思っていたところ、編集長の恩赦で9日に期限を延ばしてもらった。編集長Nさんに本当に感謝。
先号は参加できなかったため、今号はなんとしても参加したいと思っていたのでうれしい。

手術後3日目

痛みは我慢できないようなことは無く回復は順調な気がするものの、また発熱。朝から38度6分と高く、かなりしんどい。痛み止めと解熱剤を打ってもらう。何度も言うが、この痛み止めと解熱剤は本当によく効く。おかげで朝食時には平熱近くになって気分も上々。
今日の朝食からは、希望するならパン食にもできますよ、ということだったが、あくまで日本人な私はご飯をいただくことにする。・・・いや、本当はパンにチーズが付かないのがつらいというそれだけの理由だ。
朝食後、点滴がくるかなぁと思っていたがなかなかこないので、気分もいいし歩かなければいけないと言われていたので歩くか、と、しばらく廊下をうろうろする。廊下の端から端を1往復。
ちょっと疲れたので戻ったところ、やっと点滴開始となった。今日も点滴はあいかわらず3本だが、昨日と違って嬉しいことがある。それは、点滴メニューは今日で終了になることだ。それを思うだけで気が軽くなる。

手術後2日目

傷の痛みはちょっと減ってきたが、朝から相変わらず高熱で、38度。昨日も使った解熱兼痛み止めを投入して痛みと熱を抑える。小学生低学年ごろまで解熱剤を使ったことがよくあったが、あれは効くのにそこそこの時間がかかったので辛かった。だが、今のは本当に早く効くので助かる。
8時に朝食。昨日よりずっとご飯らしくなった「軟飯」主食に、お味噌汁やおひたし、魚といった定番朝食メニュー。そして給食のように意味不明についてくる牛乳。懐かしいなぁ、と心の中でちょっと笑いながらいただく。全部食べる。
10時、点滴が運ばれてくる。今日は3本投入の予定。「”昼の部”で3本ですか?」とたずねると、「えぇ、そうですね」とのこと。ということは夜にまだひとつはあるんだな・・・。早速開始。昨日はかなりしんどくて点滴を受けている間は殆ど寝ていたが、今日は起きていられそうだったので、管や針周りに気をつけながら本を読むことにした。しかし、思ったよりもずっと手の自由が利かない。ほぼ片手で本を支えて読む。
2本目の投入で点滴等管理機器が外してもらえたので、携帯をチェックする。F氏からのメールや留守番電話がどっさりたまっていた。心配して何度も連絡してくれた模様だ。早速、昨日は一日中機械がついていたので連絡できなかったこととお詫び、夕方にはちょっとだけ歩いたこと、今は機械は全部外れたこと、心配してくれたことに対する感謝などを纏めてメールを送る。すぐに返事がきて、「連絡がぜんぜんつかないからかなり心配したけど、よい経過ならよかった〜」ということが書かれていた。それと同時に「今日の夕方、うちの親が伺いますのでよろしく」ともあった。えぇっ!恐縮してしまうなぁ、と思う。
12時昼食。なんだか食事のことばかり書いているようだが、入院生活では食事というのは、普段に比べてずっと楽しみな出来事になる。私は内科系の病気ではないため、糖や鉄分に制限がかかる食事でもないので、特に楽しみになるのだ。そして今回からはふつうの「ご飯」が主食!これでテンションがあがらないわけがない。当然のように完食。このときから、食後の飲み薬がつく。腸の動きを活性化し便をだしやすくするもので、主成分は酸化マグネシウム粉末など。特に苦かったり甘かったりしないのでそこそこ飲みやすい薬だ。
食事が終わってから、再び点滴が始まる。満腹になったこともあって、眠くなってくる。うつらうつらしながら昼の部の点滴終了。
夕方、P氏とY氏がお見舞いにきてくれた。お見舞いに書籍とシュークリームをいただいた。シュークリームがなんともおいしかった。私があまり元気がでなかったため30分程度会話した後、二人は帰っていった。
その後、18時に夕飯。シュークリームを平らげたばかりだったがどうしよう、と思いながらも食べていた。
そこへ私の弟・弟の妻・長男(私の甥)の新おおた一家がお見舞いに来てくれた。摘出したものが良性であることを話すと、本当に喜んでくれた。弟はガンを摘出し治療したことがあり、また私の母方の祖母も早くに(私の母が小学生ぐらいの頃)ガンでなくなっているため、そこのところを大変心配していてくれたようだ。甥のSは元気で、家に無い珍しいものがあるせいか、あれこれと触りたがって落ち着きが無い。特にペットボトルのお茶が気になるらしく、ついには弟が買ってきたペットボトルを独り占め。そんなSがかわいらしかった・・・弟が「S、お父さんが飲めないじゃないの」といって困っていたが・・・。久しぶりにあえて3人に会えて嬉しかった。
さらに、連絡どおり、F氏ご両親からもお見舞いをいただく。きれいなお花と、F氏の妹から預かってきたのと言って、マンガを貸していただく。いろいろご心配していただいて、本当にありがたかった。
夜には、F氏も来てくれた。命がなくなるような病気ではないものの、やはり不安はある私のことを気遣って来てくれて嬉しい。F氏は申し訳ないが今日は残業できませんと残業を断って来ようとしたところ、そのことで上司から相当ないやみを言われた様子。「気にしない気にしない、早く治すんだ。」と言ってくれたが、申し訳なく思った。

手術後1日目

7時ごろ目が覚める。痛み止めが切れてきたのか、傷が痛い。また、あいかわらずとても暑く感じた。ナースコールをして、検温すると38度近い。痛み止め(兼解熱剤)を入れてもらう。30分もすると効いてきて、楽になる。
8時ごろ、喉が渇いて仕方がなかったので、再びナースコール。「10時に水分テストの予定だったのでちょっと早いですが、お水飲んでみますか?ただし、戻してしまう可能性が高いですから、少しにしておいてくださいね。」と説明を受け、水分テスト(水または茶の摂取ができるかどうか)を開始。ただの水なのに本当においしい。指示通り二口程度で我慢したが、コップ1杯ぐらい一気に飲みたい気分だ。飲んでから15分くらい経過したら、看護士さんのおっしゃるとおり吐き気を感じた。でも、量を飲んでいなかったので嘔吐せずに済む。さすがプロの指示だと感心する。その後、二口ずつを目安に、水やお茶を飲む。
水分テストが終わったら、点滴投入。数が多く、5本投入の予定になっているので休むまもなくさっさとやらねばならない模様。さっそく退屈な時間が流れる。今日の点滴には痛み止めとしての麻酔代わりになる成分が入っているのもあるので、やや眠くなる。
12時、手術後初の食事が運ばれる。おかゆとやわらかく胃に負担のないおかず。お腹がすいていたので非常においしくいただく。しかし30分後には嘔吐。麻酔の医師から事前に聞いていた、「術後は麻酔の影響で、吐き気を感じます。殆どの人が、最初の食事は戻してしまいます。」という説明どおりになる。「しかし、まぁこんなことを言ってはなんですが、戻してしまえば後は楽になります。」という説明もその通りだ。その後とてもスッキリし、以降、お茶を飲んでも吐き気を感じなくなる。
14時ごろ、親が来てくれる。自分ではほとんどわからなかったので、昨日の様子を尋ねたりする。かなり痛くてつらそうだったということや、手術後に医師から見せていただいた筋腫が意外に大きくてびっくりしたということを聞く。「拳大どころじゃないようにみえたよ」とも。
17時ごろ、それまで付いていた尿管を抜去。看護士さんに「歩いてトイレに行ってみましょうか」と言われ、付き添われながらトイレまで歩いてみる。かなりスパルタなように感じるが、大事にしすぎてもダメらしいので頑張ることにする。ちょっとのことで傷が本当に痛い。歩くのも自然に前かがみになる。しかしそれで歩いていると、看護士さんから「背筋を伸ばして歩くようにしましょう。しばらく痛いですが、前かがみになっていると痛みが長引きます。」と説明を受ける。痛みがあったが、背筋を伸ばすように努める。どうにかトイレまで歩いていって用を足したが、帰ろうとしたら気分が悪くなってしまった。近くのナースコールを押して、車椅子で病室まで運んでもらう。「大丈夫ですよ。今度からトイレに行きたくなったら付き添いますので、ナースコール押してくださいね」と言われる。ありがたいが、同時に、手術を受けただけでこんなこともできない体力になってしまうのだなぁという情けない気分になる。
18時、昼よりはご飯粒のある感じの「5分粥」主食に、煮魚などのちょっとおいしそうなメニュー。全部食べられそうだが、昼のこともあったので警戒して八分目位の量に。おいしくいただく。その後様子を見るが、吐き気も起きず、ちゃんと胃におさまりそうだ。
19時、朝から始めた点滴メニューがやっと終了!しかし、看護士さんから衝撃の言葉・・・「以上が点滴”昼の部”ですね。夜にまた一本ありますのでね。」。がっくりしながら”夜の部”の点滴開始。消灯の21時になってもまだ終わらず、結局22時近くになって終了。
ずっと点滴が付いていたので、それを管理する機械が自分の周辺にあり、携帯のチェックも出来ない状態で一日が終わった。