ヴィオラの先生見つけた

ヴィオラの先生をとうとう近所に見つけた。しかもあんなに長いこと探し回って、見つかったのは同じ市内だったときには脱力。なんてことだ、灯台下暗しとはまさにこのこと。そんなわけで、今日は体験レッスンに行ってきた。
先生選びは、けっこう重要だ。信じられないことかもしれないが、「正しいことを教えない、もしくは教えられない」のにもかかわらず「先生」と呼ばれている人もざらにいる。音楽の世界だけではないかもしれないが。たとえば楽器の場合は、正しい演奏を知っていて先生自身の演奏がすばらしくても、その技術を生徒に教えられなければ先生としては失格。私が「音楽(楽器演奏)の先生」を選ぶときは、だいたいこんな手順を踏んでいる。
1.習いたい楽器に対する技術論を論じた本をいくつか読んでおく。
演奏はできなくとも、その楽器に求められている合理的演奏法がどんなものであるかを知る。私が今までに習った楽器では、ピアノ・ドラムなどが割にこれを知るのが楽だったように思う。
2.先生に必ずお会いしてレッスンを受け、「技術」と「におい」を知る。
技術に関してはその先生のレッスンで教えていただけるものはどんなものであるかをしっかりと認識する。また「におい」とは、その先生の音楽に対する姿勢のこと。自分の思っている姿勢と合うか見る。ただし、自分はこう思うとか、奏法はこうではないかというようなことは最初のレッスンおいては先生には一切言わず、100%先生の指示に従い、先生の一番力の入ったレッスンを引き出し、あくまで「先生を観察する」。最近は体験レッスンを実施している教室が多いが、こういうのを利用するのも非常にいいと思う。
3.1と2の統合
正しいことをきちんと伝えられる技術を持っていて、音楽に対する姿勢の合う先生を選ぶ。合致する先生は結構少ない。
今回のヴィオラの先生は、100点満点で85点。まったくの初心である旨を伝えてレッスンを受けてみたが、間違ったことは教えないし、演奏技術もそれなり。一番よかったのは、先生のヴィオラ観。大きなことは言われないが、ヴィオラを通した先生自身が感じる音楽観に共感できたし、非常に学ぶところが大きいと感じた。マイナス部分はちょっとハキつかないところ。もう少しハキハキした先生のほうが好きだ。
「先生」と呼ばれる人の質として弦楽の世界では特にばらつきが大きく、本当にピンからキリまであるのだなぁと強く感じている。ヴァイオリンを学ぼうと先生を探したとき、初心者なのにもかかわらずご大層にも違う教室および個人のいくつかの先生に体験レッスンを当たったのだが、そのうち1人の「先生」は明らかに間違いを教えていた。結局、最初にお会いした先生が一番良かったのでその人に師事しているのだが、あの「間違いを教えている先生」に師事しなくて良かったと思っている。いくら趣味とはいえ、間違ったことを覚えたくはない。